死について考える時、石原裕次郎のわが人生に悔いはなし、が外せない理由。

      2016/02/06

夢や理想を求めている人であれば、

誰だって、志半ばで死んでしまうのは嫌だと思うでしょう。

ただ志半ばって何でしょう?

どこまで行けば半ばを超えるのでしょう?

今半分超えたな、と思う地点がどこかにあるのでしょうか?

これを考える時、全部が自分の主観である事に気付きます。

夢や理想を一つの山に例える時、

年収2000万が山であれば、1000万行けば5合目です。

年収2000万稼いでいても、目標が4000万なら同じ5合目です。

1億稼げた時点で、次は10億稼ぐと思えば、1合目に逆戻り。

10億稼いでいる人は、年収など山ですらなく、

もっと世界を良くしたいと思っていて、

まだ0合目、今登山道に立ったばかりなんだと思っているかもしれない。

周りから見れば、年収1000万の人より、

10億の人の方がすごいでしょう、

でも自分の人生の満足度は自分の主観で感じる事しかできません。

自分が幸せか、自分が満足か、自分が楽しいか、これら全ては自分の主観です。

周りにどう評価されても自分が幸せだと感じられなければ意味がありません。

人生とは全ては主観の世界の出来事なのです。

自分の主観の世界では、山の設定自体がどうにでも変わります、

山の何合目かと考える事自体が、雲をつかむ様な曖昧な話なのです。

満足と言うのは、追究や探求を諦めた時にやってきます。

ここまで来たからもういいだろう、

そういう諦めとセットになっている言葉だと思うのです。

大きな目標を次々といつまでも追い求めるなら、

どこまで行っても一生1合目かもしれないのです。

石原裕次郎の、わが人生に悔いなし、という歌があります。

彼はここまでくればもう十分。満足。10合目まで来た。

そう思ったから、この歌を歌ったのでしょうか。

彼にはまだまだやりたい事があったはずです。

どこまで行っても、さらにその先を目指したのではないでしょうか。

僕は、最後の最後まで、彼には悔いがあった、いや、

まだまだ志半ばであったろうと思います。

周りから見てどれだけ高い山に登っていようと、

それよりもっと高い山へと登ろうとする。

その姿勢がある限り、人は一生志半ばなのです。

長かろうと短かろうと、わが人生に悔いなし

まだまだやりたい事があっても、夢を追い続ける限り、

100年生きたって同じようにまだまだやりたい事があるのですから。

1合目までしか来ていなくとも、夢を追い続ける限り、

100年生きたって1合目なのですから。

長い短いに関係なく、死んだ地点がその人のゴールになるだけなのです。

もう一つ別の話をしましょう。

東京から大阪に向かっていたとします。

京都あたりにくればだいぶ来たと思うでしょう。

でも九州を目指していたらまだまだです。

沖縄を目指していたら、

はたまた月を目指していたら、

そして遥かかなた、宇宙の先を目指していたなら、

もはや自分が辿り着いた地点が名古屋であろうが京都であろうが、

チリひとつ分の差にすらならないでしょう。

宇宙の果てを目指している時、名古屋まで来て死んだって京都まで来て死んだって、

そんな事は気にするのもバカらしい程の差でしかないのです。

そして人の一生の50年と100年の差なんて、きっとそんな物なのです。

そこに至るまでにいかに自分であれたか、

ただそれだけが尺度たる物なのかもしれません。

そしてこの歌はこう締めくくられます。

夢だろうと現実だろうと、わが人生に悔いはなし。

もう最高にいい歌詞じゃないですか。

書いてて泣きそうですよ(いやマジで)。

多分自分今この気持ちでカラオケ行ったら泣いちゃって歌えですよこの曲。

まぁ~そんな自分の話は置いておくとしても。

僕が大阪だの宇宙だの言った、

今まで書いてきた事全ては、僕の頭の中の勝手な解釈の世界です。

実際にどうなのかなんて誰にも分からない。

僕は今は、ここで書いた様に世界を見ているので、

これが僕にとっての世界の一つですが、

明日は違う見方をしているかもしれない。

あ~ステーキうまそう、と思ってそれで頭が一杯かもしれない。

その時は、それが自分にとっての世界なのです。

山だ宇宙だといつもそんな事だけを考えて生きてるわけではありません。

考えていない時は、自分にとっての世界は、

また今見ている世界とは違った物になっているのです。

また人は何か本を読んで価値観がガラッと変わってしまった時、

その前後で見ている世界は全く違った物になるでしょう。

そうした「見ている世界」それこそが、その人の人生そのものなのです。

実際に見えて触れてする「物質=見える物」が(お金や服や食器や机などが)

あなたの人生なのではありません。

それを見て、うきうきしたり落ち込んだり幸せに思ったりしている、

「あなたの頭の中=見えない物」こそが、

あなたの世界であり、あなたの人生の正体、人生そのものなのです。

だとすれば、それはどれだけ移ろいやすく、

日々変わっていく物なのでしょう。

そしてその見ている世界(自分の解釈)が正しいのか、現実なのか、

それを確かめる術などないのです。

うれしいと思っている自分、幸せだと思っている自分。

それこそがあなたの世界や人生である。

そしてそれは、あなたの解釈の世界であり、

その解釈は、ちょっとした事ですぐに変わってしまう物である。

世界とはそれ程移ろいやすく、

自分が見ている(解釈している)物が、現実なのか夢なのかなんて、

本当は誰にもわからない。人の人生なんてそんな物だと思うのです。

だから、夢だろうと現実だろうと、わが人生に悔いはなし。

この世界の姿をよく表した本当にいい歌詞じゃないですか。


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