ひらめきの入り口としての自分の心

   

 

僕らの身の回りはひらめきのネタで溢れいていて、

ピックアップ能力さえあれば、

どんな些細な事からでも面白い閃きが生まれるはずです。

 

通勤中の風景にも色んな発見があるはずなのに、

それを山の様に見過ごしながら今日も生きている。

それが僕らの日常です。

 

ではどうやって日常の中から面白い物(ひらめき)を見つけ出すか。

その入り口として機能するのが自分の心です。

 

面白い物を見つけ出すには、色々考える(思考する)必要があります。

しかしその対象に興味、関心を持たなければ、そもそも思考が始まりません。

興味も関心も無いというのは、あっても無くても一緒、視界にすら入ってない、

そんな感じだと思います。

 

視界にすら入っていない物について色々考えるなんて無理ですよね。

なんせそれがある事にも気づいていないわけですから。

 

そんな状態から興味と感心が起こる入口になるのが、自分の心です。

 

興味や関心とは、自分の感情の起伏そのものです。

何の起伏もなく、感情がフラットなまま。これが無関心な状態。

びっくりしたり、笑ったりして、感情が動いた。これが関心が沸き起こった状態です。

 

そこで、通勤中の電車の中を見回してみて下さい。

 

頭で考える必要はないのです。

ただ感じるのです。何か自分の感情が動く物がないかと。

動かすのは右脳です、左脳ではありません。

感じるだけでいいのです。

そうすれば何か一つくらいあるんすよ、感情の起伏が起きる風景が。

それがあなたの思考の(ひらめきの)入り口です。

 

 

僕が今日乗っていた電車の中に、よれよれのナイロンのジャンパーを着て、

誇りまみれのリュックを背負った初老のおじいさんがいました。

僕は彼に何か感情が動く物を感じました。

 

手がすごく汚れていました。日焼けもしていました。

健康的な日焼けではく、労働による浅黒い日焼けでした。

 

彼は切なさに満ちていて、僕の頭に、漁獲高が落ちていく港町を連想させました。

どんどん廃業に追い込まれていく漁師仲間。

独身で身よりもなく、昔かたぎで不器用で、

運命に飲まれる以外の道を生きる事が出来ない。そんな悲哀に満ちていました。

生臭い磯の匂いと、おぼれる様に飲む酒の匂いを感じました。

(彼から本当にそういう匂いがしていたわけではなく、全部僕の空想ですが(笑))

 

実際にそんな境遇の人ではないのでしょうが、

これも一種の僕の中のひらめきだと思うのです。

これが何になるとかではありませんが、

ただぼーっと乗っていた時には及びもつかな物が僕の頭の中で広がってきて、

色々と空想して通勤時間中ずっと楽しかったです。

 

閃きのスタートなんてこんな物でいいと思うのです。

そしてこれも、自分の感情の起伏が起きた所からスタートしています。

 

自分の感情の起伏、心の振れを、見逃さない。

 

これが閃きへの入り口の一つなのではないでしょうか。

 

 


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