断捨離が劇的に進んだもう一段深い理由を考えてみた NO.1

      2016/02/06

僕は一番多かったピーク時で車2台とバイクを2台持っていて、

車の方は改造してサーキットで走りまくっておりました。

東京から、福島や栃木のサーキットへ通い、

整備も自分でやっていた為、週末はいつもこの様な状態。

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相当な車オタクでしたが、

半年程前に全部売却。

工具もパーツも今は何も残っていません。

あの時自分の心に何が起こっていたのかを、

ちょっと自分で考えてみたいと思います。

最初に結論を書いてしまいますが。

それは、車が自分にとって「娯楽」だったという事。

これを意識した事が決定的でした。

どれだけ夢中になってのめり込んでいても、

どれだけそれが楽しかったとしても、

それは自分にとって「娯楽」であった。

車もバイクも「遊び道具だった」という事です。

命をかけて、自分の全人生、持てる全力をかけて挑むべき自分の使命ではなかった。

ではその命を賭けてやりたい事、「使命」が、その当時見えていたのかと言うと、

全く見えていませんでした。

何をやりたいのかなんて全然わからない。

ただ、その使命とか、人生を賭けてやりたい事、

そういう物の為に生きる事が自分のやりたい事なんじゃないかと。

そしてそれと「娯楽」って違うんじゃね、そう思ったのでした。

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僕は人生の9割は暇つぶしで出来ている。

と思っていた事がありました。

遊園地、ゲーム、観光旅行、 グルメ、ネット、テレビ、

この世にあふれている物のほとんどは暇つぶしじゃないか!と。

みんな暇つぶしの為に生きてるんじゃないかと。

暇つぶしの様に(全人生を賭けるでもなく)仕事をして、

そこで得たお金でまた暇つぶしをする。

そんな虚しい循環を世界に見ていました。

その一方で、夢、自分の本当にやりたい事、やるべき事、

そういう物をいつもどこかで考え、

暇つぶしではない何かを、僕は求めて生きてきました。

その過程で、ボカロで作曲してみたり、ボイストレーニングに行ってみたり、

ナポレオンヒルの思考は現実化するを読んでみたりしていたのですが、

車もその一環として、自分がやるべき事を見つけたいが為に、やってみていた。

そういう側面もあったのです。

ただその「自分の夢」と「超楽しい娯楽」とが、

僕の中でごっちゃになっていたのです。

そしてそれがごっちゃになっている事にずっと気が付きませんでした。

いや、ちょっと違和感を感じて、違うかな、とは思っていました。

でもそれを無意識に無視していたのです。

無視し続ける事10年間。

失ったお金と時間は計り知れません。

ちょっと違うかな?、に僕は10年ずっと気がつかなかったのです。

「娯楽」を違う言葉で当てはめてみても良くわかると思います。

自分にとって車は「娯楽」であり「趣味」でした。

この「趣味」という言葉自体がほぼ「娯楽」と同義ではないかと思うのです。

命を賭けて、死んでもいいから趣味をやる。なんて普通言わないでしょう。

命懸けでやっている時点でそれは趣味とは言われなくなると思います。

「趣味」という時点でそれは「娯楽」なのです。

その「趣味」と「夢」との区別が10年間つかなかったのです。

「趣味」の延長線上に「夢」があるんじゃないかと、

思い続けて10年間。

でもそんな物はなかったのです。

随分と時間がかかりましたが、

命がけでやりたい事と「趣味 娯楽」は違う、

そして車は自分にとって「最高の娯楽」であったけれど、

同時に最高の「娯楽でしかなかった」

それに気が付いて、気持よくお別れする事ができたのでした。


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