意欲の源

   

 

仕事でも夢でも、掲げた目標を達成する為に欠かせない物は意欲です。

では意欲とはどの様な時に湧いてくるのか、

それは対象物に対して感情が動かされた時です。

 

面白そう、と思うから読む、

好きだな、と思うから話しかける、

違うだろ!、と思うから発言する、

すべては感情の動きから始まっています。

 

では感情の動きは何から産まれるのか、

それは対象への関心です。

 

人はその物や相手に関心を持って初めて、

良い悪い、面白いつまらない等、何かしらの感情を持ち始めます。

 

関心がないというのは、その人にとっては存在していないのと同じです。

目に入っていても意識を向けていない。

 

間違い探しなどで、男の子の絵が描かれていて、

履いてる靴が運動靴からサンダルに変わっていた時、

それに気づくまでは運動靴もサンダルも意識できていません。

 

無関心とは究極的にはこの状態です。

あってもなくても一緒。そこにある事にも気づかない、そんな状態。

 

その状態で関心を持つなんて無理でしょう。

当人には、間違い探しの靴と同じで、見えてすらいないわけですから。

人でも物でも、相手への関心の度合いが低ければ低けいほど、

この「見えてすらいない」の状態に近づきます。

ではその関心はどうやったら産まれるのか、

 

それは主体性です。

主体性とは、それがどれだけ自分に関係していると思えるかの度合いです。

 

知らない人が道を歩いていても、普通は無関心でしょう。

それはその人が自分とは何も関係がない(主体性を持てない)からです。

 

でもその人が大好きな芸能人だったら、

途端に自分に関係している事柄になる(主体性を持って見る様になる)、

これが関心です。

 

そうして主体性から関心を持てば感情が産まれ(サインが欲しとか)

感情が生まれれば意欲が湧き、最終的に行動に移ったりするのです

仕事でも、

その仕事が自分と関係していると思う人は主体性を持って取り組むでしょう、

自分とは関係ないと思っている人は主体性を発揮する事はないでしょう。

 

そして前者は仕事に関心を持ち

後者は仕事に関心を持てません。

 

 

もう一段突っ込んで考えてみます。

 

自分に関係があると思えば主体性が出ると僕はいいましたが、

 

では自分に関係があるとはどういう事でしょうか、

多くの人は自分の家が汚れていたら気になりますが、

駅が汚れていてもさほど気になりません

これは家が自分のテリトリーで、駅は自分のテリトリーではないからです。

 

友達が泥酔していたら介抱しても、

電車で知らないおじさんが泥酔していたらあまり近づきたくないでしょう。

これも友達は自分のテリトリーの中の人で、

おじさんはテリトリーの外の人だからです。

 

このテリトリーが、自分に関係があると思える範囲です。

 

では一番身近で、毎日の様にそれと関わり、

この世のどんな物よりも一番大事な自分のテリトリーは何でしょうか。

それが自分の人生です。

 

駅やおじさんの様に目に見える物ではありませんが、

そうしたテリトリーの元となる一番大切なテリトリーです。

 

一番大事な物である自分の人生に主体性を持ってていない人は、

あらゆる物に主体性が持てなくなります。

家というテリトリーも仕事というテリトリーも、

全て自分の人生というテリトリーから派生した物だからです。

 

 

意欲は感情から産まれ、感情は関心から産まれ、関心は主体性から産まれる、

そして主体性の最たる物は自分の人生への主体性である。

 

この様に意欲というのは、自分の人生と密接に関係し、

自らの人生と分けて、意欲だけを出す事など本来的には出来ないのです。

 

自らの人生について考える事なく、仕事だけやる気を出す。

自らの人生について考える事なく、今日のプレゼンだけを頑張る。

自らの人生について考える事なく、資格の勉強だけを頑張る。

 

本来そんな事は出来ないのです。

本来出来ない事を無理にやろうとすれば苦しいに決まっています。

 

人生が何かにコントロールされたり、縛られたりする時、

それを受け入れれば受け入れた分だけ、人生の主体性は失われ、

主体性が失われた分だけ、意欲は失われてゆくのです。

 

自分の人生への主体性と意欲とは、いつでもセットになっているのです。

 

 


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