俺は頑張れてない奴も檜舞台に引っ張り上げたい

   

 

人は見えない物より見える物を優先しようとします。

よくわからない物より、すぐ見える物で物事を判断しようとします。

 

ここに激しい砂嵐の中、必死で前に進もうとしている人がいたとします。

困難な状況に諦める事なく、ただ一点を目指し黙々と進んでいます。

 

一方その傍らに、どうすればいいのか分からず、

ただじっとうずくまっている人がいます。

彼は下を向いている為、苦しんでいるのか、無気力なのか、表情は見えません。

その表情を誰かに見せて分かち合えれば、少し楽になるのかもしれませんが、

顔を上げれば砂嵐が襲いかかり、顔をあげる気力も残っていません。

あげるべき声も持たず、彼はいずれ砂に埋もれて見えなくってしまうかもしれません。

社会から忘れられて、周りの声も届かなくなってしまうでしょう。

でも砂の中は嵐とは無縁で快適そうにも見えます。

砂の中はぬくぬく快適でいいよな~などという誰かの声まで聞こえてきそうです。

 

前者の人は真正面から困難を引き受け、まともに砂嵐に打たれています。

後者の人はうずくまり、砂嵐から逃げて、困難をさけている様にも見えます。

 

置かれた環境は、はるかに前者の人の方が困難でしょう。

でも心のブレはどうでしょう、

より心が定まっていない感じがするのはどちらでしょう。

 

置かれた環境(見える物)は前者の方が困難です。

でも心(見えない物)の不安定感では、後者の方が上回るのではないでしょうか。

 

どうすればいいか分からない、

どちらにいけばいいか分からない、

この照準が定まっていない感じこそがまさに「不安」な状態だからです。

 

不安とは周りの状況が生む物ではなく、自分の心が作る物です。

大きな困難の中にいても、何もブレない人もいれば、

小さな困難でも、どうすればいいか分からず、

不安に苛まれてしまう人もいるでしょう。

 

不安という言葉が、心の状態を表す言葉だという事を、

私達は時に忘れて相手を見ようとしていないでしょうか。

 

不安が、心(見えない物)の状態を表す言葉である以上、

困難の大きさ(見える物)を尺度にして、

相手の事を想像しても、相手は理解できないのです。

 

自分の照準が定まり、ブレる事く立ち向かっている人はそれだけでも魅力的です。

頑張れてすらいない人は、その時点ではさして魅力もなく、

あまり応援したいとは思わないかもしれません。

 

でも本当に一番応援してあげなきゃいけないのは、

頑張れてない人なんですよ。

 

エンジンもかかってなくて、かけようとして何度も失敗して、

ずっとエンジンがかからないままでくすぶっている。

 

そういう人こそ、もっと応援してあげなきゃいけないんじゃないか、

そういう人こそ、本当はすごく苦しいんじゃないかと思うのです。

 

いじめに対して、抵抗もできずに受け入れてしまっている人と、

果敢に立ち向かっている人とがいた時、

多くの人は果敢に立ち向かっている人を応援したくなるでしょう、

それが人情という物でしょう。

でもどちらが苦しいかと言えば、

立ち向かう事もできない人の方が遥かに苦しいはずです。

 

人はエネルギーに溢れる方を応援したくなります、

その人のエネルギーに自分も心が動かされるからです。

 

でもエネルギーを持っていない人なんていないはずです。

出てきてないだけ、周りが見いだせてないだけなのではないでしょうか、

 

そしてエネルギーにあふれる人も、始めからそうだったわけではないでしょう。

 

だから僕は、エネルギーに溢れる人だけではなく、

エネルギーを失っている人を焚き付ける。

そんな応援をしていきたいと思っています。

 

 


 - 日記