自分を変えたい、という言葉に伴う負のイメージは本当に正しい認識なのか。

      2016/02/06

俺、自分を変えたいんだ!

なんていうと、

普通に暮らしている人達からは、きっと冷たい目で見られる事でしょう。

しかもそれが、おじさんだったりしたら、

バカじゃないかと思われかねません。

でも本当にそうでしょうか、

いんじゃないの別に、と僕は思います。

こうした変革意識は、社会構造の変化とも対応していると僕は思います。

中間層なんかもういない。

そういう言葉がよく聞かれますが、

現状にそこそこ満足して、

あまり変革意識を持たずに暮らしている人達というのはこの中間層に当たる人達です。

100人中99人が生き残れる様な場面では、

生き残るのは普通のタイプの人達です。

人の大半は「普通」に分類されるわけですから、

大半の人が生き残る場面では、

普通にしていれば生き残ります。

今までの時代は、

この様な、普通である事、が価値を持ちえた時代であったと思います。

でも100人中5人しか生き残れない様な場面では、

大半の人は死んでしまうわけですから、普通に分類される人達はまず生き残れません。

異常に慎重でビクビクして行動した人達だけが生き残ったり、

異常な冒険心を持って飛び出した人達だけが生き残ったりします。

これからはこちらの時代、

普通である事の価値がどんどん低下していく時代になっていく事でしょう。

この様な時代には、現状にそこそこ満足して暮らしている普通の人達は、

淘汰されてゆくリスクがあります。

自分を変えたい、そう思う人達は、

生き残る側へとシフトする可能性を秘めている様に思います。

どんな状況でも種としての絶滅を免れる。

その為に変わり者というのは存在しているのです。

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また、自分を変える、という行為は、挑戦し続ける限り終わりなく続くものです。

自分を変えたい、なんて臭い言葉を使わないだけで、

スポーツでもビジネスでも、一部のトップレベルの人達は、

きっと当たり前に様に毎日自分を変える試みをしている事でしょう。

毎日毎日もっとレベルの高い自分へと挑戦し続けているはずです。

自分を変えたい、そして自分の抱えている問題を解決する事がそのゴールである。

多くの人はそう思っているのではないでしょうか、

だから、自分を変えたい、と言っている人に、

冷めた視線を向けてしまうのではないでしょうか。

なぜならそう考えている限り、その人の抱えている様な問題が自分は解決済みで、

自分を変えたい、と思う程の問題は自分にはもうない。

そう思えば、ある意味自分がゴールにいる存在に見えてしまいます。

そして自分を変えたい、と言っている人達が、

自分より下に見えてしまうのではないでしょうか。

また発言する側も、そういうゴールがある様な意識で発言する限り、

冷めた視線を向けられてもしかたがないでしょう。

でも自分を変えたい、という言葉の真意はそんな物ではないはずです。

変えた先には、また新たな自分がそこにいて、

それすらも、もっと変えて行こうとする。

その姿勢を一生持ち続ける事こそが、

自分を変えたいと思う人の姿なのではないでしょうか。

自分を変えたい、に終わりはありません。

そしてそう思い続けている限り、人生はワクワクした物であり続けるでしょう。

どんどん自分を変えていく、そしてどれだけ変わってもまだまだ変わり続ける。

もっともっと成長し続けてゆく。

お爺さんになってもお婆さんになっても、

まだまだ、もっともっと自分を変えようと挑戦し続ける様な、

そんな姿勢をもった、「自分を変えたい」という言葉なら、

それは何も恥じる事はない素晴らしい言葉なのです。

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余談になりますが、

本来自分という物は毎日少しずつ変わってゆく存在です。

安定して変わらない自分なんて物は存在せず、

老化もすれば、毎日その日の出来事が自分の記憶に加わって、

自分を変えたい、なんて思おうが思うまいが関係なく、

自分は勝手に変わっていっているのです。

その変化が小さすぎてみんな実感できていないだけなのです。

自分を変えたいという思いは、

その変化を自分の意志でコントロールしようとする試みに繋がり、

そしてそれは、自分を変えたい、などと思わなくても、

誰しもが多かれ少なかれ毎日やっている事なのです。

なぜなら向上心がゼロの人などいないでしょうし、

向上心がある限り、それは自分を変える、という行為に必ずつながってゆくからです。

みんな多かれ少なかれ、毎日自分を変えながら生きているのではないでしょうか。


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