物が捨てられない僕が一変した、リバウンドの可能性をゼロにする本当の断捨離のコツ

      2015/12/06

実を言うと僕は、断捨離という言葉が好きではありませんでした。
なんとなく、スタイリッシュ感やおしゃれ感を感じてしまい、
敬遠していたのかもしれません。

その為か、自分がやっている事が断捨離なんだという意識が、断捨離をしている最中に全くありませんでした。

なんせ嫌いだった事を自分がやってしまっているわけですから。意識の中でそれが断捨離だと思いたくなかったのかもしれません。

でもこれから話す、自分の中での価値観が変わってしまった時、心が断捨離を求めてしまい、もうやらずにはいられなかったのだと思います。

断捨離なんて興味がないどころか嫌いだったのに、心がそれを求める衝動を抑える事ができませんでした。

そして今から振り返れば、やっぱりあれは断捨離でしたね(笑)振り返ってしみじみそう思います。

そして形から入ったわけではなく、価値観が変わってしまった所からスタートするという、よくある断捨離の話を逆走するかの様なやり方で進んだ為に、全くリバウンドが起きていません。

自分自身が変わってしまったのですから、リバウンドのしようがないのです。まぁこんな変わった断捨離の進み方もあるんだなと、何か参考になる事があれば嬉しく思います。

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世の中を、見える世界と見えない世界、の2つに分けて考えると、価値という物の見方が変わってきます。

まず見える世界とは、お金や家、机や本や食器など、目に見えて手でさわれる物を、見えない世界とは、自分の能力、習慣、誰かとの信頼関係、嬉しいとかワクワクするなどの自分の感情、そうした目で見えずさわれない物を、それぞれ指しています。

ここに本が1冊あったとします。これは字が印刷された紙という見える物です。でもその本で、知識を得たり、考え方が変わったりする事があります。この知識や、考え方、は見えない物です。つまり見える世界(本)から見えない世界(知識 考え方)へと価値が移動した、という事になるのです。

同じ本でも、感動して人生が変わってしまう人もいれば、何も感じない人もいるでしょう。見える世界(本)から、見えない世界(感動)へと、どれだけ価値を移動させる事ができたか、その移動させた分が、その人にとってのその本の価値となるのです。

またお気に入りの食器を使う時、人はちょっと幸せになったり、食事が楽しくなるかもしれません。この幸せ、楽しい、も全て見えない世界の事柄です。食器、という見える物から、楽しい、という見えない世界へと価値が移動して、その移動した分だけ、楽しくなったり幸せになったりするのだと思います。

ここでもその人にとっての価値は、食器自体ではなく、楽しいや幸せ、です。その人自身が、食器という見える世界から、見えない世界へと価値を移動させているからこそ、その食器は特別な存在なのです。

どんな物事も、見える世界から、見えない世界へと、その価値を移動させない限り、その人にとっては何の価値も持ちえないのではないかと思うのです。

なぜなら、その見えない世界の最たる物が、自分の「心」と「頭脳」だからです。

どんなに感動的な本でも、どんなにすごい知識が書かれた本でも、心の側へ、頭脳の側へと、価値が移動する事がなければ、ただの紙でしかないのです。

見える世界から見えない世界へと、どれだけ価値を移動させる事ができるか、その価値変換能力が、その人が世界から得られる物の質と量を決定づけていると思うのです。

同じ世の中に生きていても、それをつまらないと思うか、面白いと思うかは、その価値変換能力にかかっているのだと思います。

高杉晋作のおもしろき こともなき世を おもしろく すみなしものは 心なりけりという歌なども、この価値変換能力の大小が、その人の世界を決めている、と読む事もできると思います。

価値変換能力がなければ、見える世界の物は、見える世界の中でしか移動しません。

お金を本に変えても、本から何かをピックアップする力が無ければ、価値は見える世界にとどまったままなのです。

このピックアップ能力、価値変換能力がどれだけ大事か、それに気づいた事で、僕は身の回りに持っていたほとんどの物を、いらない、と思ってしまったのです。

ただ、だからと言って、僕は見える世界を否定しているわけではありません。

なぜなら、先程見えない世界の最たるものは「心」だ、といいましたが、見える世界の最たる物は「体」だからです。

体と心が密接に関係している様に、体が滅びる事と、心が滅びる事が(多分)イコールである様に、見える世界なくしては、見えない世界も存在しえないのだと思います。

本だって、どんなに自分のピックアップ能力が高くても、本の内容によっても得られる物の質は左右されてしまうでしょう。またそれ以前に本が存在しなければ、ピックアップのしようがありません。

つまりどっちも大事、それぞれのバランスが大事、そういう所に行き着くのだと思います。

ただ今の時代はどうみてもバランスが取れている様には見えません。バブル期の大量消費の名残はずっと残っていると思いますし、最新技術で次々と出てくる新商品について、大事なのは新商品ではなく、そこからどれだけの価値をピックアップするかという自分の人間性の方なんだ、なんて考える人は皆無でしょう。

しかし、そのバランスをとろうとする方向へ、世界は今確実に動いています。体(見える物)の健康だけでなく、心(見えない物)の健康もだいぶ注目される様になってきました。

物の所有形態も、自分で持つ、からシェアする、へとどんどん移り変わっています。

物それ自体の価値がどんどん薄れてゆき、それで何をするのか、という見えない世界の価値が増している結果だと思います。

この動きは今後どんどん加速してゆくでしょう。断捨離がさらに進んだ、ミニマリストという人達が注目されている事なども、それを示唆しているのではないかと思います。

僕の断捨離が劇的に進んだ理由。それはこうした時代の流れの中で、出てきた物なのかもしれません。

見える世界と見えない世界との優先順位のバランスが移り変わっていった事。これが僕の断捨離が一気に進んだ最大の要因だった様に思います。

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もし断捨離が進んだもう一つ別の理由も知りたいぞ、と思ってくれた方は、こちらをどうぞ

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