思考は現実化するは本当か NO.2(当たり前とは何か)

   

 

前回の記事では、自分の当たり前と、現実とのギャップが許せないから、人は無我夢中になれるんだ、という事を書いたと思います。

つまり無我夢中の源は、自分の中の、「当たり前」であると。

思考により行動が産まれ、行動により人生が作られる、
つまり思考こそが、人生の出発点である。
ナポレオンヒルの「思考は現実化する」でもこの様な事が書かれていたかと思いますが、ではその思考の前には何があるのでしょうか、思考そのものは一体どこから出発しているのでしょうか。

その思考の出発点、つまり無我夢中の出発点と言える物、それが「自分の中の当たり前」なのです。つまりこれをどうにかする事が、夢を叶える為のキーワードの一つと言えそうです。

ではこの当たり前を変えてゆくにはどうすればいいのでしょうか。その為にもう一度当たり前について整理してみたいと思います。

ポイントは「無」意識、です。つまり意識していない事。

町中で突然パンツ一丁になってしまった時、人は「ありえねー!!」と思うでしょう。これは外ではズボンを履いてるもんだという常識があるからこそ出てくる感想なわけですが、「外ではズボンを履いてるもんだという事が俺の常識となっている」なんて事をパンツ一丁になりながら考えたりはしないわけです。(この常識があるからこそ、「ありえねー!」という感想が出てくるのですが)そこは当たり前過ぎるのですっ飛ばされてしまい、いきなり「ありえねー!!」が出てきます。
しかしこのすっ飛ばされた部分こそが、「当たり前」の部分、無我夢中の源になる部分、思考の出発点になる部分なのです。

前回記事の「起業」の例でも、「何で俺サラリーマンをやってるんだ!?」という思いが、起業への原動力になると書きましたが、この気持ちの前段階に、「俺は起業をしているもんだ」という自分の中の当たり前があります。でもここが本当に当たり前過ぎる人は、そこをすっ飛ばして「何で俺サラリーマンをやってるんだ!?」というのが、いきなり出てきます。でもここで重要なのは「俺は起業をしているもんだ」という飛ばされた部分なのです。この飛ばされた部分こそが、思考の出発点になっています。

1分後に死んでるかもしれない、と思いながら日常的に暮らしている人はまずいないでしょう。ほとんどの人は、1分後にも自分は生きている、と思って日常を暮らしていると思います。そしてそれをいちいち意識する事はないでしょう。でもあなたの全ての思考や行動は、1分後も生きている事が前提で行われていると思います。つまり1分後も生きている、という事が思考の(人生の)出発点の一つになっているのです。でもこれも当たり前すぎて意識する事はありません。

この様な、無意識で、普段考えてすらいない部分、それがこの当たり前の部分であり、無我夢中の出発点、人生の出発点ともいうべき部分なのです。

 


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