オーラは細部から産まれる

   

美術作品などが、神は細部に宿る、と言われたりしますが、それはこう言い換える事も出来ると思います。オーラは細部から産まれる。

そして人生を作品と捉えた場合、その人のオーラを醸し出している細部とは、日常生活の全てではないでしょうか。

全力でリンゴの皮をむいているか

僕は今自分に必要な物は、例えばリンゴの皮を全力で丁寧にむく事だったりするのではないかと思っています。
自分の理想と現実を意識して、そのギャップを埋める努力をする。これは夢を叶えてゆく努力そのものではないかと思います。そしてその努力を必要とする場面は、夢という大きな目標を見据えるまでもなく、日常の中に山の様に溢れています。そうした小さな(ハードルの低い)所で、全力で練習する事なく、大きな試合(本番、夢)で結果を出す事などできないのではないでしょうか。
自分の理想とする人物象、理想とする妥協のない人生、それを感じようとした時、リンゴの皮をむく行為一つにでも、ギャップを感じる事ができます。その嫌な感じを埋めてゆく行為、それがそのまま妥協のない理想の人生へとつながっているのだと思います。
いやむしろ、そうした日常の小さな小さな物の中にしか、その入り口はないのではないでしょうか。これも「神は細部に宿る」という言葉の側面のひとつではないでしょうか。

全部が本番

そして本当は、リンゴの皮をむく事だって本番なのではないでしょうか、リンゴという命をもらう本番なはずではないでしょうか、そしてそういう気持ちで相手(この場合はリンゴ)に向き合うからこそ、リンゴは色んな側面、色んな価値を自分に提供してくれるのだと思います。切る時に感触の違いを感じるかもしれません、包丁の切れ味の違いが気になるかもしれません。そうして理想を意識しながら暮らす事で、小さな違いにも気付ける様になるのだと思います。

そして細部は全体へ

そしてそれは相手がリンゴではなく、お客さんであったり、仕事仲間であったりした場合も同じ事が起きるのだと思います。でもだからといって、そうした場面(自分が本番だと思っている場面)でだけ頑張ろうとしても、一人でいる時に出来ていない事がみんなの前で簡単に出来るはずがないと思いませんか?
日常生活の小さな事をどうこなしているかという、表には現れない細部に対する姿勢が、人生の全ての場面に影響しているのだと思います。我々がまずしなければいけないのは、自分が本番だと思っている所でだけ頑張ろうとするのではなく、もっと小さな小さな、誰も見ていない、何の結果にも繋がらないと思える様な所、そうした見えない部分の自分の姿勢をこそ、磨いてゆく事なのだと思います。それが、細部こそが全体を作る、「神は細部に宿る」という言葉を、人生に当てはめた場合の意味なのではないでしょうか。

 

 

 


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