等身大へ向けて

      2016/03/29

人はただ等身大であるだけで、伝わってくる物があたっり、魅力的であったりするんだなと、先日ある方とお会いして思いました。

そしてそういう視点で見てみると、そこに答えもない、特別な主張もない、ただ悩んで試行錯誤しているだけのブログ。そんなブログに、自分が昔随分と心打たれていた事を思い出しました。

今まで見てきたブログの中で、3つのタイプのブログが思い出されます。

でもどれにも共通する物があって・・・

1.一つはその人の考える「答え」が提示されているブログ。
人生はこうあるべき、こうすればもっと幸せになれる、幸せを阻害している物はこれである。そんなその人なりの哲学が明確に感じられる、コンセプトや目標が確立されているブログ。

2.もう一つは、悩んで試行錯誤している姿がただそのまま書かれているブログ。
明確なコンセプトやその人なりの哲学が書かれているわけではなく、ただその人の日々の姿が書かれているだけのブログ。
でも何かしら人生に求めている物があって、その理想と現実とのギャップに悩んで戦っている。
その戦っている姿に、共感したり、自分も頑張らなくちゃと思ったりする。そんなブログ。
(そうしたブログは、その人の哲学やコンセプトが、提示されてはいないんだけど、匂いで漂ってきて、方向性や色合いはちゃんと感じられる)

3.今日の晩御飯や日々の出来事が、ただそのまま書かれているだけのブログ。
一見悩んで試行錯誤している様には見えないけれど、ブログに書こうと思うからには、その人なりに何かを求めて試行錯誤したんじゃないかと思う。でもその試行錯誤の過程が省かれていて、その人なりの哲学やコンセプトが匂いで漂ってきたりはしない。

で、自分が書こうとしていた物がどれに当たるかというと、どれにも当てはまらない。

上記3つのブログには共通点がある、それは等身大であるという事。
みんな正真正銘今の自分の姿を書いている。だから(最後の一つは別として)魅力的なんだと思う。

俺は人の評価、顔色を異常に気にしてしまい、それが染みついていて、等身大にすらなれていない。

やっとその事に気が付いた。そしてそこを避けている限り何も成長しない。だって自分を違う物だと思い込んで行動するんだから。

今の自分はブログで言うと上記の2番目の感じなのに、1番目であらねば、と思って書いている。それは2番目の状態から出発して1番目を目指している、という事ではなく、2番目の状態を無視して、そこを無き物と思って書いている。

俺の人生にはこういう構図が他にも沢山ある様に思う。

現状からスタートするのではなく、人の顔色で行動するという構図が。

スタート地点

要はメッキを貼っているんだな、自分の現状を無視して。

一生懸命行動しても、自分の上にメッキが貼り付いていて、自分を磨いてるつもりでメッキを磨いてるんだから、きれいになるのはメッキばっかり、その下の自分は一生そのまんま。

そしてやっかいなのはメッキなんて貼り付けた覚えがないって事。磨いてて楽しくない、磨いてて苦しいだけ、それで初めて、あれ?、と思って、自分が磨いていた物がメッキだった事に気が付く(下手したらそれでも気づかないけど)

さらに気づいたからってメッキが取れるわけじゃない、気づいてるのに取れない。いや、正確には取れたりまた貼り付いたりを繰り返す。

取れてる状態を常態化していきたい、家に一人でいる時くらい。

等身大(メッキなし状態)ってのは、メッキの下が自分である以上、自分が成長する為のスタート地点。

少しスタート地点に近づいたか。

 


 - 日記