たぶんほぼ勘違い

   

「ねーパパ!ブランコの上の雪より、シーソーの上の雪の方がおいしい!!」
前日までの悪天候がうその様に晴れ渡り、雪が太陽を反射して辺り一面が輝いていた。
トオル君はそれぞれの雪を手の上に乗せると、大発見を自慢しようと、食べてみろとお父さんにその雪を差し出した。

これは僕が何年も前に小説を書いていた時に思いついた、トオル君という友達のいない男の子が、大好きなパパと遊んでいる時のワンシーンです。
「シーソーの上の雪より、ブランコの上の雪の方がおいしい」
僕はこのフレーズが大好きで、ときどき思い出しては一人でにやにやしてしまいます。そして人生なんて、こんなもんなんじゃないかな~って思う。

大人になっても変わらない

大人の視点で見てしまうと、そんな事で雪の味が変わるわけがないし、変わったとしてもその発見が実生活に役立つとは思えないでしょう。子供がやっているから暖かく見ているだけで、大人がやっていたらまぁ変な人です。

でも僕らは大人になった今でも、結局トオル君と同じ事をやってるんじゃないかなって思う。

人の顔色、誰かの評価、この資格は就職に有利だから、老後までにいくら貯金が必要で、そんな風に色んな事を気にしながら僕らは生きていて、それって、シーソーとブランコでの雪の味にこだわっているトオル君と、やってる事は大差ないんじゃないかなって思う。

人の顔色だって、気にせず思いっきり行動した方がいい結果が出るかもしれない。損得で資格なんて目指さず、自分の好きな事に夢中になった方が成功するかもしれない。人の顔色も世間で言ってる事も、気にして人生の選択を変える程の意味なんてきっとない、でも意味があると思って僕らは大騒ぎしている。

思い込み

本当は、シーソーの上の雪とブランコの上の雪とで、味に違いなんかないんです。
でもそれをトオル君は勝手に違うと思い込んでワクワクしてる。

本当は、人に評価されようがされまいが、大事な事はそんな事じゃないはずです。
でもそれを僕らは勝手に超大事だと思い込んで傷ついてる。

僕らとトオル君ってやってる事同じじゃない?
(トオル君がその感覚のまんまで大人になったら、きっと僕らはその人をバカにするのにね・・・。いや、あまりひがみっぽくなったらダメですね、ひがめば周りを傷つけて、そして自分も傷がつく)

(しきり直し!)

世の中に正しい事なんて何もないんですよ、あるのは自分がそれをどう思うかっていう自分の解釈(思い込み)だけ、それが自分の世界になってるだけ。
どんな事柄も大事だと思ってる人にとっては大事なだけ。

・・・だけどさ、片方は楽しそうで片方は辛そうじゃない?

スタートとゴール

やってる事は同じなのに、全然違う結果になっているのは、きっとスタートとゴールが違うから。

大人は役に立つかどうかが動機でスタートして、何かのゴールに向けて思い込みが生まれてる。トオル君は直感や発見や、ドキドキやワクワクだけで思い込みが生まれてて、ゴール設定なんてそもそもない。

例えば職場でこの人と仲良くした方が有利に立ち回れそう、そう思ってその人に接近する時、「自分にとって役に立つ」がスタートで「職場内での立ち位置の向上」がゴール。
単純にこの人自分と合う!面白そう!、そう思って話しかける時は、「直感」がスタート。話しかけたくてウズウズしちゃってる最中に「ゴール設定なんて考えてない」

このスタートの違いと、ゴールの有る無し、それが大きな違いになるんじゃないかと思う。

きっと人生には意味なんて何もなく、でも無限に意味がある。

雪の味にも人の評価にも、そして突き詰めれば人生そのものにも、本当は別に意味なんてないんだと僕は思う。それに勝手な思い込みで意味をつけているだけ。いやその勝手な思い込みこそが、人生の意味なんじゃないか?

だから、人生に本当は意味なんて何もなく、かつ無限の意味があるんだと思う。「無味の味」って言葉を聞いた事があるけれど、そんな感じなのかな。

元々何か意味や味が付けられている物じゃなくて、それは自分で勝手に作り出して付けちゃう物。

人生は素材とか、水とかみたいな物で、それをどう利用するかが価値になるし、どんな形のコップに入れるかで、どんな姿にも変身する。その利用の仕方やコップの形が、自分の解釈なんだと思う。

勝手な思い込みっていう点では、僕らもトオル君も何も変わらない。でも思い込みのスタートとゴールの有無が違ってて、その違いが人生を180度変化させる。
だから「シーソーの上の雪より、ブランコの上の雪の方がおいしい!」僕はやっぱりこのセリフを思い出してニヤニヤしてしまいます。

 

 


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