「考えるな、感じろ」の「感じる」とは何か?

   

 

「考えるな、感じろ」って言ったのは、禅に傾倒していた格闘家ブルースリー。

これを、頭で理解しようとしても全くわからないけれど・・・。

 

本末転倒の「戦う坐禅」

 

僕は坐禅体験会に何度か行って、よくこう説明されていた。
呼吸を感じましょう。鼻の穴から冷たい空気が入ってきます、そして温まった空気が出てゆきます、それをよく感じて下さい。

 

「呼吸を感じましょう」これはとっても分かりやすい坐禅の「やり方」だと思う。でもね、そう言われると、すごく頑張ちゃうんだよ。感じよう感じようと一生懸命になっちゃう。

 

一番大切な(でも伝わりずらい)
「あり方(生き様)」を示すのではなく

わかりやすい、
「やり方(方法)」を説明する事の弊害がここにあるんだと思う。

 

人は正しい「やり方」を説明されると。その瞬間、
その「やり方」と自分との「比較」を始める。

 

人は比べるから落ち込むし、比べるから緊張するし、比べる物があるからこそみじめに思う。そんな相対的世界(「比べる」の世界)へ誘導してしまう事が、「やり方」を説明する事のデメリットなんじゃないかと思う。

そうしてうまく出来ない自分と対峙しはじめ、

坐禅は(自分との)戦いになってゆく。

これは坐禅の話で終わらない。

どこかで聞いた事がありませんか?
相手が水を飲んだら同じタイミングで水を飲みましょう、これを同調効果といいます。とか、面接の時は「どうぞ」と言われてから座りましょうとか。

こういうのも全部同じ、「やり方(方法)」の説明。
(絶対○○できる3つの方法、みたいな人生のマニュアル本なんか全部そう)

 

その裏にある、あなたの「あり方(生き様)」にこそ価値があるのに、

 

「やり方」に目が行く事で「生き様」が無視されて、

 

やり方通りにできているかどうかで自分をふるい分ける比較の戦いが始まる。

 

でも坐禅や瞑想って、そしてそもそも人生って、「戦い」じゃないんだよ。

 

坐禅も瞑想も、なにとも比較なんかできない、みんな一つにつながってる、そんな一元論の世界なはずなのに、「やり方」が入ってきた瞬間、「正しいやり方と、自分の現状」の二元論の比較の世界に突入して、坐禅が自分との戦いになってしまう。

 

感じるって何?

 

そしてその正反対にあるのが、ブルースリーの言う「感じる」ってやつだ。

 

だけど僕は、またもや頑張って戦っていた。肌にあたる風、食事の味や香り、そして自分の呼吸。それらを感じようと「努力」してた。

 

でも違うんだ!そうじゃないんだ!!

感じるってのは頑張って起こす物じゃない、色んな思いを手放して、全てを成り行きに任せ、その結果勝手に起こっちゃう物なんだ。

頑張るのをやめてゆるみゃいいんだよ(≧ω≦。)

 

最近やっと、そう思える瞬間を僅かに持てる様になった、でもこれは色んな「体験」をしないと、頭で考えただけじゃわからなかった。なぜなら、上に書いた文章なんて本当は役に立たなくて、大事なのは文章ではない個所、言葉ではいい表せない部分、つまり、

 

違うんだ!の 「!」の部分

そうじゃないんだ!!の 「!!」の部分

ゆるみゃいんだ~(≧ω≦。)の、 (≧ω≦。)の部分

 

この「!」と「!!」と(≧ω≦。) これこそが全てだからだ。

 

一番大事なのは、この言葉にならない部分、

 

「!」と「!!」と(≧ω≦。)

 

それが感じるって事。

 

これさえ伝わってくるのなら、その前についてる文章なんておまけだ!どうだっていい!!

 

 

「ゆるんで手放せば入ってくる」その言葉を頭の中で回したって何の意味もない。

 

・言われた時の自分の心境

・言った人の雰囲気

・前後の体験

・両者の関係性(尊敬してる、共感してる)

・場の力(広い場所狭い場所、ビルの中か古民家か、森の中か、海のそばか)

・受け手送り手のあり方(生き様)

 

こういう目に見えない、コントロールも出来ない様な物が、「!」と「!!」と(≧ω≦。)を産みだし、

人を動かし人生を変え、そして「あり方(生き様)」につながってゆく、

これが「感じる」の世界なんだ。

僕はこないだ八ヶ岳瞑想セッションってやつから帰ってきて、そんな世界を少し感じる事が出来た。

そしてそんな感動したり心が震えたりする世界には、比較も戦いも何にもないんだと思う。

 

考えるな、感じろ

 

「考えるな、感じろ」そのブルースリーの哲学が、ちょっとだけ見えた気がした出来事を、こんな感じだったんだよって、体験として残しておこうと思う。

本当は言葉では伝わらない所にこそ、大事な物は宿っているのだろう。

それを感じた出来事を、どうにか「言葉」として残した物を。

 

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数日前に「戦わない世界」を垣間見た、八ヶ岳瞑想セッション(大島ケンスケさんのブログ) →
遊ぶ、伝わる、ただ座る(満月グループ山歩き瞑想&セッションの感想)

 

車バカが、車とバイクを全部捨てて、アートの世界に入っていったきっかけ(僕のブログ) →
僕が美術に魅かれた理由

 

「考える」が頭から消えた瞬間(僕のブログ)→
言葉にはならない物
言葉を挟まなくなる瞬間

 

多分こんな体験を沢山してゆく事で、感じる世界、戦わない世界に、ゆっくりと意識が向いてゆくんじゃないのかな~。

 


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